2022-2-3 日記 燃ゆる女の肖像

節分が近いので福豆を食べています。旨味は特に感じないけど、季節感のあるものを食べているだけで社会に順応出来てて偉いと思えるので良いですね。

☝先月末に書いた文章です。下書きに置いておいたままにしていたら、気づけば節分当日になっていました。恵方巻を買って帰ります。太くて長くて黒い棒が大量に並んでいるスーパーの総菜コーナーを見るのが楽しみ、異常事態だから。

 

 

 

 

『燃ゆる女の肖像』観ました。GEOで借りようと思ったんですが貸し出し中だったので、アマプラのレンタルで。

 

マリアンヌとエロイーズの距離が縮まっていく様子が丁寧に丁寧に描かれていたのが一番印象的でした。静かで美しかった。

映像の大半の時間が静かなぶん、マリアンヌが奏でるヴァイオリン協奏曲「四季」の夏、島の女性たちの歌、そしてラストのコンサートの演奏が耳に強く残る。

静けさの中にもマリアンヌやエロイーズの息遣い、筆を走らせる音、足音など、彼女たち自身から発される音が多かった。女性2人の愛を、人間味や生身を伴って伝えてくれたように感じます。

 

顔を見ること/見られていることにどんな意味があるのだろうか、と少し考えました。

初め、マリアンヌは肖像画を描くために、また、その目的を気づかれないようにエロイーズの顔を盗み見します。そのため2人が向き合って会話するときも、マリアンヌは記憶に残すように、エロイーズの顔だけでなく体も舐めるように見ているようでした。

対してエロイーズはマリアンヌの目をじっと見つめ続けているように思え、もしかしたらエロイーズは最初からマリアンヌに惹かれていたのではないかと感じました。

顔というのは、見れば見るほど魅了されるもので、しかし、もともと自分を魅了するような顔でないと見続けることは難しいと思います。見つめ合う2人の関係が密なものになっていくのは、ごく自然な流れのように思いました。

 

「一瞬で消えてしまう表情」として笑顔が語られていたのがなんか良かったですね。

 

雰囲気が終始『最後の決闘裁判』と似てるなと思っていました。冒頭の暖炉に始まり若い女召使の登場、極めつけは登場人物たちにとって外国語が信頼関係を深めるきっかけとして作用していたことです(『最後の』ではラテン語、『燃ゆる』ではイタリア語)。正直ここで「似すぎ!!!」とツッコみかけた。

 

見直そう見直そうと思っていたらレンタル期間を過ぎていて、結局見返すことができなかった。近いうちにBSとかで放送してくれると嬉しい。