2023-09-02 日記
昼前に起きて芋を茹で、洗濯を回し芋を食べ、洗濯物を干した。
リモート接続先のPCが置いてあるビルが本日深夜に停電するので、自宅PCをシャットダウンした。掃除機をかけて、久しぶりに個人PCを立ち上げ、久しぶりに日記を書いている。
10月に寄席崎心中が開催される。昨日𝙅𝙄𝙉𝙍𝙄𝙆𝙄 𝙎𝙏𝘼𝙏𝙄𝙊𝙉経由の先行申込を完了させた。
最近自社で集まる機会がない。少し前までイベントを主催してくれていた社員のみなさんからの連絡もない。忙しいのだろうか、それとも飽きたのか。元気に過ごしてくれさえいればそれでいい。
自分から動く元気と勇気と余裕はないので、連絡が来るのをひたすら待つ。今のところは
家に2.4キロ分のパスタがある。保管場所がなくて、とりあえず冷凍庫扉の前に立てかけている。冷凍庫を開けたいときは邪魔で仕方ないが、ふと目に入ると安心する存在。
難しい、難しい…。
2023-04-09 大好きなコンビ>単独公演>ネタ(いくつか) #ぜろひろ #スパガリ単独
文章のテンポを軽めにしたいので、むず痒いんだけど敬称略です。
「ハレーポッター」
真顔ニンマリ・ジョンが本当に好きなので、出だしからテンションブチアゲ。まさかあんな展開が待ち受けているとはつゆ知らず…。
暗転切り替え多用のネタ見ると、アキナとニッポンの社長の顔が浮かぶ体質。
「バイト」
J-POPを効果的に使うネタ見ると、ガクヅケの顔が浮かぶ体質。
終わり方にスパイシーガーリックらしさ(以下、スパガリ(スパガリってスパダリみたい))を感じて、大好き。「らしさ」の中身はうまく言葉にできない。
「tiktok」
設定が良すぎて頭抱えかけた。
片山、うろたえ老人役が上手い…。
「ヘリコプター」
ありがとう、本当に。面白かった。
「ロウリュ」のように劇的な展開のネタも好きだけど、これみたいに客(私)側がつんのめってしまう展開のネタも好き。ジョンの表情と逡巡でいくらでも私をつんのめらせてください。
片山の顔がヒーロースーツで隠れてジョンの顔だけが出てた理由、解釈一致です。記述不足でしたが、冒頭の「ありがとう」は片山に対してです。エンディングの話聞いて泣いてた。
「写真撮影」
大好きでした。
1本目、しかもオープニング映像前のコントにこれを持ってくるスパガリ、好きです。変顔をする→見て笑う、という演者と客のシンプルなコミュニケーションを頭に持ってくるのが本当にかっこよくて、面白かった。
「写真撮影」はこのネタ順だったからこそ、こんなにも大好きになった気がする。スパイシーガーリックの、『Zero To Hero』の魔法にかけられた。(照)
2023年初の生・スパガリ。久しぶりだったから少し緊張してたけど、ジョンの連続変顔見て(これ知ってる顔〜~〜!)と思う。安心感と感動で心の中で泣く。
ジョン演じる村木(??)がモデルなの、良い。変顔パートの振りになってる真面目なキメ顔も絵になる。役柄に妙な説得力があって、それがまた可笑しい。広い舞台上にたった1人で立つ姿、実はかなり惹かれた。
ストーリーもだいぶ好き。村木の変顔は片山(コント内)の言葉を借りると「村木さんの本当の姿」(うろ覚え)で、村木はそれを自信なさげに表出するのに対して片山はその不安を跳ね飛ばすように「いい感じ」と全肯定するんですよ。ありのままの自分を「いい感じ」と評されて絶好調状態になる村木がとても愛おしい。スパガリを見てる時の感情、どの場面でも必ず愛おしさを含んでいるかもしれない。
舞台は撮影スタジオという閉じた場所から動かない、写真撮影→中断/かっこつけ顔→変顔の反復という展開、衣装はノーマルでフォーマル。構成しているものすべてがシンプルに見えるのに、どうしてこんなに面白いんだろう。愛おしさ?顔?
全体的な
スパガリのネタは誰も傷つかないものばかり、という感想をネットで見かけたけど私の解釈は少し違う。過程として人が傷つくことはあるけど、その傷さえもスパイシーガーリックらしい面白さで包み込んでいく、というのが私の見解です!「バイト」と「写真撮影」を見て、より強くそう感じました。よろしくお願いします。
片山の作るネタと村木の顔と両人の演技が組み合わさると面白くて楽しくて、幸せな気持ちになる。
片山が村木の顔を褒める時、その顔に信頼を置いていることが伝わってくる時、毎回新鮮に感動してしまう。客(私)側に提示される2人の関係が素敵。こんな2人がコンビを組んで客にコントを見せてくれているという奇跡を今、静かに抱きしめている。
幕間(ネタ以外の話も少し)
続きものだったから本編のコント以外で脳内リソース使わないといけないのが好きじゃなかったのと、内容にハマれなくてあんまり面白くなかった。だけどエンドロールとエンディングトーク内で担当したのがジョンだったと知って、もうなんか(いよっ!!!👏いいよ〜!!!👏)って気持ちになっちゃった。スパガリにゾッコンらしい。1年以上惚れ続けているらしい。
2022-5-2 日記 #寄席崎心中 の感想戦(1人)
行ってきました。
生・初・真空ジェシカ。おめでとう、自分…。良かったね、生きてて…。
座・高円寺はこじんまりとした会場だった。後列でもそんなに遠くはないけど俯瞰で見る感覚はどこかにあって、(うわー本物だ)と落ち着いて彼らの登場を受け止めていた。
それでも川北が「まーちゃんごめんね」と言うたび、その異常性に(この人、変な人だ!)と気持ちが昂っていった。お喋り中、こんなに「まーちゃんごめんね」を言う人は異常。遠くから見るとガクの綺麗な金髪は白髪(はくはつ)のように見えて、神々しかった。真空ジェシカはテレビで見るよりもかなりひょろ長く感じる。
川北の話す内容がなんか刺さっちゃった。ある人に別の人の面影を探し、あらゆるところに関連性を見出して語ってしまうやり方が見透かされてるようで。実際はどうなんでしょうか、本当に見透かしていたのでしょうか。
①人間横丁
雰囲気可愛かった…。もっと丸め込んで欲しかったけど、1回きりだからこんなにも求めてしまうんだろうな。可愛いと狂気って共存させやすい要素だなあ。
②なかよし
コモリはインスタやYouTubeチャンネルで何度も見るなかで「髪を切るのが上手い、落ち着いたお兄さん」という印象しかなかったので、芸風に衝撃を受けた。ただ実際見てみると、適当で無気力で雰囲気で漫才をやる奴としてはぴったりな風貌だなと納得した。
③サツマカワRPG (ゲスト)
シークレットゲストだから当然なんだけど、予告なしで明転いきなり登場だったからなんか夢かと思ってすぐには飲み込めなかった。(テレビの中の人だ)と思った次の瞬間には、ノートを見ながらショートネタを披露する可愛さを見せられて虜ですね。 めっちゃ面白かった。
「サツマカワRPGを生で見たんだぞ!!!しかもR-1決勝ネタ(アレンジver.)を!!!」と自慢していきたい。
④へんてこぼういず
なんだあのネタ。海に溺れてるシーンの音声が別撮りで、しかもお風呂場で録音したような音声だったのがなんかツボに入った。
船になっちゃってからの映画っぽさというか舞台っぽさがめっちゃ好き。私は観客に過ぎず、目の前で起こっている事象を受け入れるしか無いんだという心地よい諦めの気持ちに満たされた。
生で芸人のコントを見たのは数年ぶり(もしかしたら初めてかも?)だった。同じ空間にいるのに、流れている空気や定められている法律がまるで違う世界を見ているような断絶を舞台と客席の間に感じる。どこか寂しくなるのと同時に、越えようと思えば越えていけるほどの見えない壁をあえて破らずにお行儀よく座っている自分の変な真面目さが可笑しかった。舞台上の世界に入って一緒に狂ってしまいたかった。こちら側に言葉を投げかけてくることが多い漫才を見ているときにはあまり無い感覚だと思う。
⑤キャプテンバイソン
太鼓の達人!選曲が懐かしい。よく分からないネタをだんだん理解していく気持ちよさ。
⑥スパイシーガーリック
大好き!!!!!!!!!!!!!!!!!惚れた。ああいうネタめっちゃ好きです…。1番好きだったのは、床に倒れた金剛寺がグググっと上がっていくところです(何?)。
演技の上手さとそれに伴って明らかになるバカバカしさが生だと余計に伝わってきて、そういうの大好きだからもう、ヒーヒー言いながら笑ってました。本当にヒーヒー言ってた。なんか映研が撮ってたしょーもな面白バトル映画思い出した。観たくなったなあ。
中MC①(真空ジェシカ・スパイシーガーリック)
ここまでやってくれるのか、というくらいやってくれた。最高。ビッタビタにリアクションする真空ジェシカが見れて満足。めちゃくちゃ写真撮りたかったけど、頑張って我慢して目に焼き付けました。
1部でいちばん好きだったスパイシーガーリックが出てくれたのもとても嬉しかった。
⑦ぬで
ネタの内容も展開も大体覚えているけど、好きだったところが挙げられない…。
⑧SLEEZE BLACK
残像SEX漫談。漫談?ちがうか、コントっぽいやつ。この世界の核心を突いているようで突いていないような最後の格言が好き。何て言ってたかは覚えてないので確かめようがない。
⑨ハンサム金魚
男女コンビで唯一頭叩く(はたく)系の漫才!いろんなネタが見れて本当に幸せ。
あんまり好きじゃなかった…。事務所HPを見ると寺田さんは乃木坂46が好きらしい。ガクと乃木坂の話したりするのかな。
⑩凛凛パーカー
クリーチャーは凛凛パーカーか…。あそびと凛凛パーカーがごっちゃになって記憶されてました。このわたさん、教えていただきありがとうございます🙏
同じ展開が来るって分かっているのに笑ってしまう。クリーチャーの造形と音楽気持ち悪すぎたし、最後ちゃんと食べられてしまうんかい。先生…。
今更ですけど、わたしはほとんどの出演者の芸風(漫才かコントかピンか)を知らないままライブに臨んだんですが、真空ジェシカが呼んでるからてっきりみんな漫才だと勝手に思っていたんです。ところがどっこい、蓋を開けてみると漫才・コント・ピンネタ(コント・漫談)がそれぞれちょうど良い割合でキャスティングされていて、非常に満足度が高かったです。
11.あそび
面白くて好きだったのに、他の方達のネタと勘違いしててショック。漫才師以外は大体最初に名乗らないから、どうしても分からなかった…。
「丁!」「半!」の繰り返しからどんどん大サビに向かっていって、遂にでっかい声で「チャーハン!」と揃って叫ぶあの流れが大好きです。何回も笑った。でっかい声って面白い。
12.車海老のダンス
面白かった………。初見だったけど(真空ジェシカサツマカワRPGモグライダー以外み〜んな初見😊)好きになった。トーンとハキハキした言葉遣いが心地良いし、濃度の高い演技っぽさが気味悪くて好き!わたしたちは「根本君」の言う通り、清野の「想像の世界」に生きてるんだって思うとちょっと楽になるね、この世界が。
中MC②(真空ジェシカ・ハンサム金魚)
川北が中だるみパートだった、というようなことを言っていた。ちょっと分かる。
ハンサム金魚の爆笑問題風宣材写真、最後列から見たら爆笑問題でしかなかった。
13.肉体戦士ギガ
やっと見れた!!!!!嬉しい……。面白かった。ずっとニコニコしながら見てました。声がデカいし、思ってたより背が高かった。ガタイが良い。
14.竹内ズ
撃たれるマイム?がうますぎる。面白かった…。笑顔で怒る奴が1番怖い。 ふわっと流れていったけど、急な日大ディスは何。
15.永田敬介
喋りながら舞台に上がってきた時点で(なんじゃこいつ、変な奴か?)と思っていたらその勘は当たっていた。笑いながら、頷きながら聞いてた。フリートークっぽく感じたけど、エンディングトークで真空ジェシカと話しているのを聞くと5分出番に合わせて調整を繰り返していたようだった(結局13分)。あのネタは練りに練られたトークだったことを知って、更に衝撃だった。永田敬介のような芸人のネタをたくさんのお客さんと一緒に聞いて笑えたことがとても幸せ。
16.モグライダー(ゲスト)
登場に「わー!」って声が出た。会場の迎え方が完全にスターに対するそれであり、(こんなにみんなが盛り上がるコンビを生で観れてなんて幸せなんだろう)と思う。ネタめっちゃ面白かった〜ファンです。
17.真空ジェシカ
あんだけ話題になったヨネダ2000のネタだから仕組みとして面白いに決まってるんだけど、ところどころ真空ジェシカ風にアレンジしていた。(そこ変えるんだ!)と思うところとヨネダ2000のまんまやってるところとの配合が絶妙でずっと釘付けでした。
ギガのサプライズ出演、嬉しかった。大好き!!!ギガラジオリスナーで良かった。
ミマスが出てきたところは沸いた、さすがに。『Cosmos』は(ハモるかな…)ってちょっと期待しちゃった。今度このネタやる時は是非ハモってほしい。大笑いします。
そもそも他人だから誤解は大いにありそうだし頓珍漢なこと言ってたら申し訳ないんだけど、清水役をやってる姿を見て川北の空虚性というか、何にでもなれる器を持ってる人ってことがわたしはよく分かった。そう納得した。いろんな他人のネタをやり続けてるだけある。
本編も好きでしたけど、SEX寿司前(だったっけ?)の川北笑顔くだりも大好きです。人を楽しませる才能がありすぎる。褒めすぎ?川北、顔芸もっとやってほしい!嘘、本当はあんまりやってほしくない。時々やってほしい。これからも手札の中に「顔芸」は潜ませ続けたままでいてほしい。あのワドルディみたいで胡散臭い笑顔を時々見せてほしい。そしてわたしたちを怖がらせながらも大笑いさせてほしい。好きです。
永田の喋りに押される(身を委ねる?)真空ジェシカが面白かった。「永田-川北ガク」になることもあれば「永田川北-ガク」になることもあって3人のバランスがめっちゃ良い。目が離せない空気感があった。
川北が言い出した「ピスタチオ解散」情報、会場出るまでホラだと思ってたら本当でちょっと笑っちゃった。解散自体が面白い訳じゃ決してなくて、川北が本当のことを言っていたという事実と、発言を受け手にウソだと思わせられる才能に笑った。そんな才能があるの、めちゃくちゃ羨ましい。
ピスタチオの解散をネットニュースでも誰かのツイートでもなく「川北の口から聞いた」という事実、しっかりと胸にしまって歩いていきたい。
おまけ:開演前の合唱曲
合唱曲にあそこまで心躍ったことない。会場入った瞬間、(川北ー!!!)って叫び出しそうだった。ガクの好きな乃木坂楽曲は流れるのかなと思ったら全く流れず。
寄席崎心中で初めて聞いた『ほらね、』、めっちゃ良い曲だ。好き。川北がぷよぷよ配信かバンカズかラジ父かギガラジオかで言っていた「合唱曲にはメタ要素が多い」というのはこのことか〜と、歌詞を見ながら思う。
ハマっちゃって、毎日聴いてます。
2022-3-11 日記 ポゼッサー 感想 境界線など
さて、書き始めたはいいものの、実は何にも分かってないです。だけど分からないなりにも何かを書きたいので書いています。
とりあえず公式サイトを見て頭の中を整理する。
「全世界が言葉を失った、戦慄のSFノワール。」というコピーがあるけど、鑑賞直後の私はまさにこの状態になっていました。
鑑賞後にレーティング(しかもR18)がかかっていることを知ったので、過激なシーンへの覚悟が全くできていなかったことも「無」の感情になった1つの要因だと思う。
あと、音楽がすごく良かった。過激なシーンは怖くて見れないなという方がいたら、是非音楽だけでも聞いてほしい。すっごい気味が悪いので!!!おすすめ!!!
サントラがApple Musicで配信されてます。
〈内容に触れます〉
一番最初のカットは男性が頭頂部に棒を突き刺すシーンで、血がドクドク溢れていた。ここで(ああ、この映画は血をしっかり見せてくるタイプなのね)と思ったら、そんな理解では到底済ませられないほど血が映っていた。映画館の大画面が4回くらい「血の海」状態になってた。血は超リアルで粘り気があった。
血に関連したところで言えば、人格を乗っ取ったタシャが最初に出てきた女性(名前分からない)やテイトの身体でターゲットを刺殺するシーンが何度もある。タシャは繰り返し繰り返しターゲットに刃物を突き刺すが、カメラはタシャの姿を捉え続け、そこから観客の眼差しを逸らすことを許さない。
生者が体内に刃物という異物を何度も迎え入れることによって、死者へと変化していく様を映し続ける。生きようとする力の強さを感じた、結局死んだ姿が映るのに。変なの。
『ポゼッサー』において、刃物で刺される人間は一撃で死ぬことはあまり無く、何度も刺されるうちに「いつの間にか」死んでいる。
この生から死へのシームレスな変化、でありながら前と後では全く違ったものになる変化こそが本作では重要なのではないかと思う。
トランスフォーム状態から「離脱」するためにはホストを殺す必要がある。「離脱」の方法としてタシャは拳銃自殺を指示されるが、タシャは何度試みても拳銃の引き金を引くことは出来ない。
冒頭で刺殺によって殺人を遂行しホストから離脱しようとするタシャは、銃口を自分の口の中に向けるところまでは出来るものの、その引き金を引くことは出来ない(到着した警察によって拳銃で撃たれることで「離脱」は完了する)。
一見、タシャの姿は自殺を躊躇しているようだった。しかしタシャは他者の体にトランスフォームしているため、タシャが拳銃を向ける相手はタシャ自身ではなく他者である。厳密に言うと「自」殺ではない。
ホストの体をうまく使いこなして指令を完遂するためには他者と自己の境界が曖昧になる感覚が必要だとすれば、タシャがガーダーに仕事ぶりを買われていることは納得できる。
生と死、他者と自己という2つの違うはずのものの境界線が薄れていく(ただし境界は決して消えはしない)ということを描いている気がする!
・物語後半ではトランスフォームしているヴォスの意識が薄れ、テイトの意識がテイトの身体を使ってタシャの夫マイケルを刺殺シーンもあった(勘違いじゃなければ)。ここら辺は理解が全くできていない。
・タシャとテイトが同期した直後に出るタイトル『POSSESSOR』めちゃくちゃかっこいい。Eを起点とした左右対称の文字列。
・匂いが安心するものとして描かれていた。
ガーダーがハンドクリームを手に塗って嗅いでホッとした様子を見せたり、テイトが婚約者(エヴァ)の匂いを嗅いで良い匂いだと言っていたり。
・それに対して、視覚と聴覚は不安定で不快、まさに「不安」を増長させるものだった。
タシャとテイトの意識の混濁はコマ送りにされてフラッシュを多用した映像で表現されるし、タシャがテイトを通じて見る世界に揺らぎが生じると羽音みたいなものが聞こえる。
2022-2-22 日記 #まードキュ 感想 大鶴肥満を照らし導く、檜原という光
2月21日0時0分、『劇場版まーごめドキュメンタリー まーごめ180キロ』の配信が終了しました。
(以下、ドキュメンタリー映像を『まードキュ』、『まードキュ』配信ライブを『まーごめ180キロ』と表記)
好きな時に見返すことが出来なくなるのは非常に残念です。が、終わりがあるからこそ、その素晴らしさを人間は記憶に留めようとするのでしょう。実際私は配信終了の直前まで『まーごめ180キロ』を見直し、スクショ祭りを開催していましたが、その行動力は終わりが近づく焦燥感が生んだものでした。いま私が感想ブログを書いているのも「配信終了」という1つの区切りがあるからです。
また2月20日は『まードキュ』と永遠のお別れをする日ではどうやらないようで、企画・演出を務められた白武ときおさんが以下のような嬉しいことを言って下さっています。叶うのを楽しみに待っています。
#まードキュ 最終日です。
— 白武ときお 放送作家 31歳 (@TOKIOCOM) 2022年2月20日
再編集と、DCP制作して映画館でかけられたら嬉しい。
渋谷パルコのホワイトシネクイントだと嬉しい。 pic.twitter.com/6TPju8rZfd
1月30日に『まーごめ180キロ』が開催されてから、ネットには多くの感想や考察が投稿されました。そんな盛り上がりを受けて、2月11日には主演の大鶴肥満と相方の檜原がYouTubeでオーディオコメンタリーを配信。
『まードキュ』は『まードキュ』内外から豊富な言及を蓄え、作品としてどんどん成熟しているように感じます。名作ですね、そりゃ2度も配信延長されます。
檜原は光
ある方のツイートで、「大鶴肥満の相方であり「光」である檜原にインタビューしてないのが良い」というような内容の感想を目にしました(正確に引用したくて「檜原 光」で検索したんですがツイートを見つけられませんでした…もしあれば教えてください)。
追記(2020-2-26)
ゆな on Twitter: "映像の中に一切檜原さんが出てこなくて、檜原さん側の気持ちを聞くことができないのがこの映画の中で“肥満さんにとっての光”を最大限に表していて最高だった #まードキュ"
こちらのツイートかもしれません。教えてくださった方、ありがとうございます😊 まーごめ、と言った方がいいかもしれませんね。
確かに、大鶴肥満がママタルトとしての人生を始める大きなきっかけをくれた檜原を作品内で語らせないのは「良い」ですし、この構成には何か意味がありそうな気がします。もし意味は特になくても私が見出すので大丈夫です。今からそれについて書きますね。
『まードキュ』において真空ジェシカやサツマカワRPG、さすらいラビー、ストレッチーズ、ひつじねいり細田、ぺこぱが大鶴肥満についてのインタビューを受けていましたが、眼鏡をかけた檜原は語ることも映されることもありませんでした。その理由は檜原がまさに光であるから、だと思ったのです。
もちろん檜原は現実世界では人間として確かに存在していますが、『まードキュ』で中心に据えられた大鶴肥満という語り手によって「光」とされた以上、檜原は光なのです。
檜原は光。
このことを前提にして、話を進めていきますね。
大鶴肥満を照らすものとしての、光
大鶴肥満は檜原について、「ずっと俺の前で輝き続けてほしいなって 思ってます」という言葉の後、彼が時に眼差すことを拒絶するほどの眩しさを持っていることを口にしました。
光には暗闇に沈むものを照らし、そのものを輝かせる力があります。小学生時代のきゅうり、高校生時代のいじめ、父親、そして失恋など、過去から現在へ続く重苦しいエピソードを語る大鶴肥満ですが、彼は話の持つ暗い雰囲気に飲まれずに語りを進めていきます。
それは彼に強烈なスポットライトが当たっているからであり、その「光」こそが檜原なのだと感じるのです。闇に落ち込んでいきかねない大鶴肥満が画面に示され続ける背景には、鋭い光を放つ檜原の存在があるのではないでしょうか。『まードキュ』において、目を眩ませるほど強く輝く檜原は画面内に映るべきではなかったのです。
檜原本人を映せないとなるとその光が照らす対象である大鶴肥満を映像に収めることこそが、檜原が持つ力を最大限に、より具体的に観客に伝える方法となります。大鶴肥満を映すことはすなわち彼を照らす檜原を映すことと同義なのだという理解に至った私は、大鶴肥満が恋の終わりを語る本編終盤のシーンについて考えます。
行き先を照らすものとしての、光
夜の公園、暗闇の中で画面に浮かび上がるのは大鶴肥満といくつかの街灯。たとえ暗闇の中にいても、失恋して気落ちしていても、大鶴肥満をやさしく照らすのは眩しい眩しい檜原なのです(ここではマクドナルドも大鶴肥満を輝かせていましたねⓂ️)。
檜原(=「光」)について歩きながら語る大鶴肥満の後ろにちらりと映る街灯は、暗い世界を照らす光であり、暗闇を照らして進むべき道を示すものとしての光です。檜原は大鶴肥満にとっての道しるべとしても描かれていると感じます。
大鶴肥満が檜原について語るこのラストシーンが、光がより際立つ夜に撮影されたことは必然のように思えてなりません。素晴らしい構成だと思いました。夜だからこそ、視認できる光として檜原は画面に映されているのです。
「まーごめんドリーム」へと繋がっていく夜の公園のシーン。ここでママタルトは『まードキュ』においてやっと共演を果たしたのだ、と解釈しました。
100分を超える『まードキュ』。いよいよ2人が共演することで、『まードキュ』は粕谷明弘ではない、ほかならぬ「ママタルト大鶴肥満」が誘うドキュメンタリーとして閉じていくのです。
本編を何度も味わってから予告編を観てみると、檜原が大鶴肥満にとって光り輝く存在であることは、『まードキュ』公開前から既に示唆されていたことに気付きました。
檜原さんが大鶴肥満さんを光らせる写真すごく撮りたかったので、撮れて良かったです#まードキュ https://t.co/CDAe2yAydM pic.twitter.com/WFMoSNFntv
— 𝐢𝐫𝐚𝐦𝐢𝐧𝐚 (@iraminaaaaaa) 2022年1月20日
檜原が持つレフ版から反射する光が眩しくてポーズを取り、その光を受けて被写体となる大鶴肥満。やっぱり檜原は大鶴肥満にとっての「光」として描かれていたんですね。
緻密な構成と演出、編集の上に成り立つ『まードキュ』は現実をそのまま切り取ったものではなく、作り手の意図を含む映像作品であることはしっかりと覚えておきたいのです。オーディオコメンタリーでの大鶴肥満の言葉を借りるなら「結局、全てはFAKEでありますから」(1:15:06)。
白武さんの言う「再編集」が楽しみな理由はここにもあって、大鶴肥満の軌跡やまーごめの真髄をどのように組み立て直し、どんな形で私たち観客に伝えてくれるのかがとても興味深いのです。次に公開されたとき、その作品を観た私はどんな感想を抱くのか、楽しみでなりません。
2022-2-3 日記 燃ゆる女の肖像
節分が近いので福豆を食べています。旨味は特に感じないけど、季節感のあるものを食べているだけで社会に順応出来てて偉いと思えるので良いですね。
☝先月末に書いた文章です。下書きに置いておいたままにしていたら、気づけば節分当日になっていました。恵方巻を買って帰ります。太くて長くて黒い棒が大量に並んでいるスーパーの総菜コーナーを見るのが楽しみ、異常事態だから。
『燃ゆる女の肖像』観ました。GEOで借りようと思ったんですが貸し出し中だったので、アマプラのレンタルで。
マリアンヌとエロイーズの距離が縮まっていく様子が丁寧に丁寧に描かれていたのが一番印象的でした。静かで美しかった。
映像の大半の時間が静かなぶん、マリアンヌが奏でるヴァイオリン協奏曲「四季」の夏、島の女性たちの歌、そしてラストのコンサートの演奏が耳に強く残る。
静けさの中にもマリアンヌやエロイーズの息遣い、筆を走らせる音、足音など、彼女たち自身から発される音が多かった。女性2人の愛を、人間味や生身を伴って伝えてくれたように感じます。
顔を見ること/見られていることにどんな意味があるのだろうか、と少し考えました。
初め、マリアンヌは肖像画を描くために、また、その目的を気づかれないようにエロイーズの顔を盗み見します。そのため2人が向き合って会話するときも、マリアンヌは記憶に残すように、エロイーズの顔だけでなく体も舐めるように見ているようでした。
対してエロイーズはマリアンヌの目をじっと見つめ続けているように思え、もしかしたらエロイーズは最初からマリアンヌに惹かれていたのではないかと感じました。
顔というのは、見れば見るほど魅了されるもので、しかし、もともと自分を魅了するような顔でないと見続けることは難しいと思います。見つめ合う2人の関係が密なものになっていくのは、ごく自然な流れのように思いました。
「一瞬で消えてしまう表情」として笑顔が語られていたのがなんか良かったですね。
雰囲気が終始『最後の決闘裁判』と似てるなと思っていました。冒頭の暖炉に始まり若い女召使の登場、極めつけは登場人物たちにとって外国語が信頼関係を深めるきっかけとして作用していたことです(『最後の』ではラテン語、『燃ゆる』ではイタリア語)。正直ここで「似すぎ!!!」とツッコみかけた。
見直そう見直そうと思っていたらレンタル期間を過ぎていて、結局見返すことができなかった。近いうちにBSとかで放送してくれると嬉しい。
2022-1-22 日記 悪なき殺人
「悪なき殺人」を観た。
観ようと思ったのは、原題「ONLY THE ANIMALS」と、キネマ旬報に掲載された児玉美月さんの評に惹かれたからです。
以下、感想!
このタイトルが設定された理由を明かしたいと思いながら観ていた。
まず、「ONLY THE ANIMALS」の訳「動物だけが知っている」について。
ミシェルが"アマンディーヌ"とやり取りするのはパソコンの画面越しに限られる。送り合うメッセージの内容は2人しか知る由もない。だが、ミシェルのパソコンの壁紙が牛舎に設定されていることで、2人の会話が画面に映る時は必ず牛たちの姿も現れる。内密なはずの2人の関係は、疑似的に牛たちによって見られていると言えるだろう。
また、ミシェルがエヴリーヌを絞殺する瞬間を目撃したエヴリーヌの飼い犬や、ミシェルがアフリカに向かう前に視線を感じた先にいる牛たちというように、人間の隠したい行動を動物の視線が捉える。
これは「動物だけが知っている」という原題訳を支える要素と言えるのではないか。
動物の視線と言えば!
冒頭、男に背負われながらサルー師の部屋に入っていくヤギの瞳のクローズアップがありましたね。あのヤギは何?あの男は誰?(調べているとロレックスというらしいですね、まったく覚えていなかった)
あの姿勢は、ポスターにもなっているジョゼフがエヴリーヌを背負う姿と重なりますねえ。
次に「ONLY THE ANIMALS」について。
画面越しの"アマンディーヌ"に魅了されて言われるがままにお金を差し出すミシェルが「カモ」、ミシェルと同じく詐欺に遭いパソコンの前で自慰行為をする男性が「シカ」のようだと形容されるように、人間自体が動物的に描かれてもいる。
愛を求め、欲を満たそうとする人間もまた理性を失った動物のようであり、その意味で作品に登場するのは「ONLY THE ANIMALS」(動物だけ)、ということなのかな。なのかな?!